2013年7月10日水曜日

玉本英子さんに聞く シリア



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      玉本英子さんに聞くシリア

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混沌としたシリア情勢。新聞やインターネットの報道で伝えられてくる
限られた情報。普通 の人々は耐乏生活を強いられているのではないか。
子どもや女性はどんな暮らしなのか。今年の春、シリアを取材された
ジャーナリストの玉本英子さん(アジア プレス所属)に豊富な写真を
みながらお話を聞きます。



日 時◆ 2013年89日(金) 18時45分(18時15分開場)
場 所◆ 渋谷消費者センター会議室
       (渋谷郵便局裏・渋谷駅より徒歩5分)
参加費◆ 800円


(玉本さんのメッセージ)
内戦が2年目を過ぎたシリアですが、解決への糸口は誰にも見出せて
いません。「どの勢力も自分たちの利権だけを考えている。アサド政権が
崩壊しても平和は来ない」と人びとは言います。各勢力間の戦闘の狭間で、
多くの市民が犠牲となっている現状を知っていただければと願います。


【プロフィール】
玉本英子(たまもと・えいこ)さん
東京生まれ、大阪在住のフリーランス記者。94年からアジアプレスに所属し、
イラクなど中東を中心に取材する。京都精華大学非常勤講師

主 催◆ ふぇみん婦人民主クラブ 
  tel03(3402)3238
  eメールfemin@mvi.biglobe.ne.jp

2013年7月1日月曜日

橋下「沖縄の女性が性の防波堤」発言について

またもや橋下日本維新の会代表の発言を発端にした話題です。(長文です)

慰霊の日に沖縄を訪れた日本維新の会の橋下代表が6月23日、
「沖縄の女性が防波堤となり進駐軍のレイプを食い止めてくれていた」と
発言していた。
(報道があまり見つからず、琉球朝日放送、6/24の橋下代表 「他国の歴史の指摘も必要」のみ)

この発言についてはアジア女性資料センターの国内ニュースも参照を。
橋下氏「沖縄の女性が性の防波堤となってくれた」
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=806

橋下氏の発言は、浦添市で開催された沖縄の地域政党「そうぞう」主催の
講演会でのこと。
「(当時内務省は)特殊慰安施設協会ですか、これを作って沖縄にも置いた。
沖縄県民の女性が、その多くの女性や子供たちを守るために、まあある意味、
防波堤みたいな形になってそこで食い止めてくれる。そういうことも歴史的な
事実としてあったわけです。それを米軍が利用していたことも事実。そういう
ところを ちゃんと指摘しない、言われたら言われっぱなしの日本の政治家が、
日米地位協定の交渉なんかできますかね」


この「特殊慰安施設協会」と沖縄の関連などを、日本国内の占領軍「慰安所」の
調査・研究をしている平井和子さん(一橋大学院生)に尋ねた。
その回答を紹介したい。(編集部・さ)


(平井さんの見解は、一部のMLに発表済み)
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よりによって、「沖縄慰霊の日」に、沖縄の人たちの気持ちを逆なでするような、
相変わらずの女性を二分化した「性の防波堤論」! ここでしっかり対応して、
叩き潰しておくチャンスにしたいですね。

まず、押さえておくこととして、RAA(日本名は特殊慰安施設協会)は東京のみ(一部例外として千葉と熱海)に作られたもので、全国の米軍進駐先につくられた「特殊慰安施設」ものとは別者です(両者を混同して全国にRAAが作られたと思っている人が多いのですが)。
わたしは「本土」の占領軍「慰安所」については押さえているのですが、果たして内務省の指令が沖縄へも向けて出されたのかどうかは、現時点は確認できません(この点、国会図書館で『沖縄県警察史』戦後編を確認してみてください)。
 ただ、沖縄にも「米軍慰安所」があったことは、『なは・女のあしあと』(那覇市総務部女性室編 琉球新報社2001年)に記述があり、それを大阪大学の藤目ゆきさんが、紹介されています。2例あります。
①沖縄戦が終わらない時期から早々と『米軍慰安所』が作られ、1つは米軍上陸から間もない4月、本部半島を占領した米兵隊第六師団が運天に売春宿(キャットハウス)を。13歳くらいの少女もまじっており、米軍が性病検査をして
いた。
②旧日本軍「慰安所」の経営者が女性を引き連れて、今帰仁村の区長を通じ米軍の許可を得て、「慰安所」を開設した。村で一番大きな家の前には連日兵士の行列ができたという。
(「東アジアの冷戦とジェンダー」平成15年科学研究費補助金(C)報告書
p.22より)


ということで、今のところ、手も持ちの資料からは、内務省の指令(45年8月18日)以前の沖縄戦の最中から、米軍によって米軍「慰安所」は設置されたこ となどがうかがわれます。また、民間業者による「慰安所」設置には、日本軍「慰安所」と米軍「慰安所」の連続性が見られます。

それと、時代がもう少し進んで1950年代の米軍統治下の沖縄の性売買に関しては、小野沢あかねさんが以下のような指摘をされています。
―沖縄戦で生活が破壊された女性たちや生活困窮の家庭の少女たちが人身売買され、米兵相手の売春を余儀なくされた。米兵相手の女性たちの間借りが増え、米 兵が住民の居住地域を行き来し、米兵の性犯罪も増加したため、住民のなかから「一般女子」や青少年を「風紀の乱れ」から守るための「防波堤」をつくるとい う名目で、特定の地域に限定して米兵相手の特殊飲食店街を作る動きがでてきた、とのこと。これがコザや宜野湾の特飲街の形成となった、ということで、
米兵の性犯罪の凄まじさに、住民側が「一般女子」を守るための「防波堤」という倒錯した発想をせざるを得なかったということに悲しさを感じずにはいられま せん。(小野沢あかね「戦後沖縄における売買春と売春防止法―暮らしに刻印される米軍支配」大妻女子大学 人間生活文化研究所 2011年度共同研究プロ ジェクト編『2011年12月4日 ”日米軍事『同盟』と売春防止法 報告書』より)

橋下氏が強弁するように、米軍も韓国軍も、「慰安婦」を利用したではないか?という指摘に関しては、日本軍「慰安所」との違いをきちんと押さえつつも、 「軍隊と性暴力の共生関係」=軍事組織に共通する問題として、それを解体していく方向(橋下氏とは逆方向)で問題にしていかねばならないと思っています (詳しくは『インパクション』190に「軍隊と性差別の深い関係―橋下発言をめぐって」)

以上、あまりしっかりとした史料提示ができませんが、取り急ぎ。平井和子
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