2014年10月3日金曜日

請願書「自衛隊指導による都立大島高校の防災訓練を中止してください」を提出しました。


こんにちは。

自衛隊駐屯地で防災訓練って?!
 
東京都大島町の都立大島高校2年の33人が神奈川県横須賀市にある陸上自衛隊武山駐屯地で宿泊防災訓練をすることに対して、ふぇみんは請願書を提出しました!

提出先は、 東京都教育委員会のほか、都立大島高校長と大島町長です。



2014年10月1日

東京都教育委員会委員長 木村 孟 様
同委員 遠藤 勝裕 様 
同   竹花 豊  様  
同   乙武 洋匡 様 
同   山口 香  様 
教育長 比留間 英人様
ふぇみん婦人民主クラブ
共同代表 設楽 ヨシ子 坪田 康子

請 願 書

  自衛隊指導による都立大島高校の防災訓練を中止してください

 私たちふぇみん婦人民主クラブは、敗戦翌年の1946年に結成された全国組織の女性団体です。平和憲法を生かしつつ、女性問題や人権や環境危機の諸問題に取り組んでいます。
2013年7月に田無工業高校生徒が自衛隊駐屯地で宿泊防災訓練を行ったとの新聞報道に接し、ただちに同月、「2度と繰り返さないように」との抗議文を貴委員会(と防衛省)に提出し、再実施との回答を受けてからは、実施前の13年11月と実施後の14年3月に請願書と質問書を出しています。

今回、東京都大島町の都立大島高校2年の33人が神奈川県横須賀市にある陸上自衛隊武山駐屯地で宿泊防災訓練をするとの新聞報道に接しました。かねてから、こうした事態の常態化と他校への広がりを強く懸念したことであり、あらためて強く抗議します。

この7月1日、安倍内閣は歴代政権において違憲とされてきた「集団的自衛権行使」容認を憲法学者や弁護士会などの広範な反対の声を押し切り、閣議決定しました。その翌日以降、全国の高校3年生の自宅に採用説明会案内が送付されたとのことです。奨学金の返還に苦しむ大学生には、自衛官の仕事を斡旋してはという案が文部科学省の有識者会議ででたとの報道もあります。あらゆる機会を自衛官確保に向けて動きはじめていることが感じられます。貴委員会主導により実施された田無工業高校の防災訓練から明確になったのは、自衛隊側にあっては、これは「募集広報実務訓練」あり、そのことにおいて貴委員会と連携しての行動だということになります。これは、先の大戦での軍国主義教育により、多くの若ものを死地への送ったその反省もないことであり、憲法の精神に照らしても許されることではなく、その責任は重大です。
集団的自衛権行使容認という新たな情勢を考慮するなら、12年2月作成された「都立高校改革推進計画第一次実施計画」で自衛隊を連携先に加えたことは将来にわたり、大きな禍根を残すことになり、これを早急に外すことをあらためて要求し、あわせて11月の大島高校による防災訓練の中止を求めます。私たちはあくまで教育と軍事の一体化に反対します。 

     (質問書を添えます)



質問書

■  2014年11月の宿泊防災訓練について

1、参加する生徒33人は、どのようにして選んだのか?本人の希望によるものか、学校・教師側の指名によるものか?

2、13年7月の申込書は「陸上自衛隊隊内生活体験申込書」となっていたが、今回の参加申込書の名称はどうなのか?

3、保護者の同意は得たのか?

4、田無工業高校の場合は、引率の教員や教育委員会の関係者も含めて、すべての経費は東京都教育委員会が負担したとのことだが、今回も同様なのか?

5、公教育の一貫であり、先の江東区会場での訓練は一部公開でしたこともあるのに、なぜ今回は非公開なのか?


2014年9月12日金曜日

ふぇみんのアピール 「稼働原発ゼロ」1年を迎えて

皆さん、原発再稼働に向け、着々と事が動いていますが、実は、9月15日で、稼働している
原発ゼロになって一年って知っていましたか?

ふぇみんがアピールを出しました。

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アピール 「稼働原発ゼロ」1年を迎えて


私たちふぇみん婦人民主クラブは、敗戦翌年の1946年に結成された全国組織の女性団体です。平和憲法を生かしつつ、女性問題や人権や環境危機の諸問題に取り組んでいます。
今、日本全国の原発が停止して2014年9月15日で、1年になります。今年の暑い夏も全国で電力不足による停電は一度もありませんでした。

2011年3月の福島原発大事故の発生まで日本の電力の30%は原発により供給されていましたが、この1年間「原発ゼロ」の社会を実現できたのです。市民や企業が省エネルギーやエネルギーの効率化を進めるとともに、自然エネルギーの活用などがこの原発ゼロを達成させました。

私たちふぇみん婦人民主クラブは、原発が日本で稼働をはじめた1960年代から研究者の警告を聞き、その安全性に疑問をもっていました。以来原発のない社会をめざし活動を続けてきました。それだけにあの福島原発事故には大きな衝撃と自分たちの力及ばなかった無念さでいっぱいでした。

そんな私たちにとって、この1年間「原発ゼロ」で過ごせたことは格別の思いです。
しかし、いままた政府や電力会社は原発再稼働を進めようとしています。あの福島原発事故により、原発の危険性についてだれもが知り得たにもかかわらずです。

事故から3年半過ぎた今も福島第1原発の汚染水の流出すら止められず、廃炉の見通しなど全くたっていません。被曝は広範囲に及び、多くの人が日常生活を取り戻していません。汚染物質の処理も未解決です。

そのような中で最初に再稼働を認めようとしている川内原発では、火山噴火の危険性や避難方法の不備などいくつもの不安をかかえています。

私たちは「稼働原発ゼロ」を実現できた今、大きな危険をかかえた原発の再稼働を絶対許すことはできません。省エネルギ―や自然エネルギーの活用など、さまざまな英知を集めて原発にたよらない社会の実現をめざし、より一層努力いたします。
                            

2014年9月12日
 

2014年9月5日金曜日

9月4日 「戦争させない・9条を壊すな! 総がかり行動」へ!

9月4日の夕方から、東京・日比谷野外音楽堂で行われた
「戦争させない・9条を壊すな! 総がかり行動」に、
ふぇみんも参加。 
 
 
雨宮処凛さんは、奨学金の返済に苦しみ滞納する若者を
自衛隊に入れて就業体験させたらどうかという経済同友会から
出た話に触れた。 
文字通り貧困ビジネスだ。
経済的徴兵制を進めるこの動きは集団的自衛権行使容認と
相まって不気味だ、と言う。
安倍首相は、「アジアの緊張を懸念する」と言うなら、アジアの国々と
なかよくしようよ、と発言すると、会場から拍手が湧いた。



落合恵子さんは、この8月6日、広島の被爆者の集会に出ていた
話を紹介した。例の首相の挨拶に前年の内容がコピーペースト
されていた、あれ。
「そんな安倍首相に、集団的自衛権行使容認を、『国民の命と
安全を守るため』などと言われたくない。」
わたしたちは、盲導犬の『賢い不服従』を見習って、『賢い不服従』を
しましょう。
好戦的女性議員はいらない!
ヘイトスピーチとデモを、いっしょくたにするな。」



沖縄の彫刻家・金城実さんも力強くスピーチし、参加者が大いに
うなずき、拍手が広がった。



この日の参加者は5500人。
会場はすぐに満員になって、入場制限がされ、野外音楽堂の周囲を
大勢が取り巻いた。
終了後、銀座に向けて、「9条を壊すな」などとデモをした。


2014年8月27日水曜日

写真家・落合由利子さんの写真展「働くこと育てること」「絹ばあちゃんと90年の旅」開催 @大田区・エセナおおた

 ふぇみん1面のインタビューの写真撮影でおなじみ、写真家・落合由利子さんの
写真展が、東京・大田区の大田区立男女平等センターエセナおおたで開催されている。

http://www.escenaota.jp/data/2014/2014photoochiaichirashi.pdf

 タイトルは、「働くこと育てること」「絹ばあちゃんと90年の旅」。
 会期は、2014年8月30日(土)まで。
 最終日には、落合さんが会場に登場される予定とのこと。

 働き、育てる女性たちの姿がぐっと胸に迫る写真をどうぞ。


 以下は、落合さんからのメッセージです。

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「働くこと育てること」「絹ばあちゃんと90年の旅」写真展に寄せて
                                        落合由利子

                            

 「働くこと育てること」の写真展の話しをいただいたとき、2014年の今再び展示を

するのなら、「絹ばあちゃんと90年の旅」と一緒にやりたいと思いました。

 「働くこと育てること」は保育雑誌「ちいさいなかま」に1998年から4年間連載した

仕事です。乳幼児を抱えながら仕事をする、男性・女性の丸一日に同行する。
私自身も乳幼児の子どもを二人育てながらの、等身大で臨んだドキュメンタリーです。

 たった一日だけど、確実に一生のうちの一日、その人のリズムに入れさせてもらう、

それはかなりおもしろい経験でした。目を開き耳を澄ますと、どんな人の中にも物語が
詰まっている、ということを実感しました。生きるということはそれだけ大変でおもしろい
ことなのだと。

 「絹ばあちゃんと90年の旅」では、伊豆・天城の山奥に暮らす後藤絹さんを訪ね、

日常を共有し、その記憶を旅しました。
 開拓団として満州に渡り、ソ連侵攻による避難生活で3人の子どもを亡くした

絹さんは言います。

 「あんた、子どもを亡くした気持ちなんてわかんないだろう。医者に診てもらって

死んだんじゃないの。見殺しなんだから。何もできなくて、見ている前で死んでいく
んだから。こんな気持ちはわからなくていいよ」と。

 私は学生時代、歴史を学ぶことに意味を見いだせなかったというより、暗記が

苦手で歴史はただの不得意科目でした。ときどき痛烈な冗句を飛ばしながら今を
生きる、絹さんという光をたよりに、過去と現代をいったりきたりする旅を6年続けて、
気がつくと、自分の中に近代史の軸が出来ていました。

 「働くこと育てること」で出会った子どもたちは今、20歳前後になっています。

1913年生まれの後藤絹さんは、もうすぐ101歳になります。

 この二つの仕事を並べたとき、時の流れのなか、今自分が生きている時間を

確認しながら、日常が放つなにげない輝きが続いていく世の中でありたいと思うのです。
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