2012年3月6日火曜日

東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか②

韓国フェミニストジャーナル『イルダ』へ送った原稿の2回目です。


東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか②

2、原発事故後の対応と人々の苦悩

 福島第1原発の事故は思い出しても恐怖である。3月12日の1号機の水素爆発後、大量の放射性物質が放出された。その多くは風向きから太平洋上に放出されたが北西に放射性物質は向い、風下の村、町を汚染した。しかし、情報が届かなかった。
 その一つ、飯舘村は、「までいの村」(「までい」は「真手」と書き、「てまひまを惜しまないスローライフ」みたいな意)として知られ、農業、畜産中心のこの村は、里山の暮らしを大切に、再生エネルギーを使ったエコタウンをつくり、しかも女性の活用を真剣に考えている村だった。しかし、放射能は容赦なくこの村を襲い、4月になって遅れて汚染が高いことを告知された村民は全員避難した(一部残存している)。今、村民は福島市を中心に仮設住宅にいる人が多い。
 福島県の中部地域も放射能の汚染線量は高い。通称「中通り」というこの地域には、県庁所在地の福島市、二本松市、郡山市など人口が計100万人を超える地域が広がる。2月24日の空間線量を文部科学省発表のモニタリングポストの数値で見ると福島第1原発から西に58㌔の郡山市の合同庁舎前の空間線量は0.63マイクロシーベルト毎時、同じく北西に68㌔の福島市の県北保健福祉事務所前の駐車場が0.83マイクロシーベルト毎時などの値が出ているのだ。年間の被ばく線量を概算すると8760時間をかけるという計算になるので、外部被ばくだけで5ミリシーベルト、7ミリシーベルトを超える計算になる。一般公衆の被ばく線量限度1㍉シーベルトを大幅に超える。これは外部被ばくだけなので、呼吸や食べ物による内部被ばくを考えるとどうなるのだろうか。福島市などの地の線量はチェルノブイリ事故後、避難区域となっていた線量だということだ。しかも福島市などでもホットスポットがある。県庁から1㌔の渡利地区は2マイクロシーベルト毎時を超えている。年間被ばく線量は20㍉シーベルトを超えるだろう。そして年間20㍉シーベルトという線量は、原発労働者の年間の許容被曝量であり、労災認定される線量なのだ。
 政府はこの地域の住民を避難させなかった。それはなぜなのか。市民から推測すれば「100万人の住民を避難させるところがない」「福島県の経済の中心地、東北への物流の拠点であるこの地域に住む住民を避難させれば日本経済が持たない」という判断ではなかったか。
 結果として、多くの住民、放射能に敏感な子どもたちが汚染地に住んでいるままである。緩慢な殺人とも言うべき行為だ。
 小さな子どものいる家庭は、自主避難の道を選ぶ人も多かった。自主避難者を含む県外避難者は62808人を数える(2月16日、復興庁)。仕事を持っている人のほうが移動できない。正社員、共働きの人は避難者が少ない。専業主婦や非正規の女性は、母子避難している人が多い。これが、性別役割分業が強固な日本特有の避難の形「母子避難」を大量に生む結果となった。いや、韓国でも同様になるのかもしれない。東京でも多くの人が自主避難という形で母子で避難してきており、公務員住宅や都営住宅、借り上げ住宅の提供を受け、不安な生活をしている。一部帰って行く人もいるし、これから避難する人もいるだろう。
 原発事故後の政策として日本政府の大きな間違いのもうひとつが、「除染」である。雨どいの下、側溝、屋根の上、等々、草が茂り土がたまっているところが、放射性物質が多く溜まり線量が高い。これを除染する方針が決まったのだ。高圧洗浄機で道や壁を除染し、屋根に登り、道や公園の草を除去し、表面の土をはがす。田畑については表面の肥沃な土をはがす。問題は、除染の効果だ。の多い福島県では、除染により、放射線量が半分に減ったとしても、森林と山間地域から落ち葉や土が舞い降りてきて、また汚染する。効果にも疑問がある。さらに除染する人は、被ばくする。その後にまた除染は自治体から業者に委託されるもの、ボランティアによるもの、地域で住民が自主的に行われるものなどさまざまだが防護も気になる。
 除染は根本的解決にはならない。それどころか、除染に使用した水は海へ流れ込み、海にホットスポットを作り出し、魚を汚染し、漁業の生活を圧迫している。しかしそれでも除染せざるを得ない。
 避難地域から避難した人には一人当たり月10万円が支給されている。自主避難者には1回だけ8万円(子ども・妊婦40万円)が支払われた。補償は分断を生む。
 福島の人々の苦しみはひとことでは言うことはできない。避難先で人間関係もなく孤立して暮らすことの困難。今も高い放射線量の中で暮らす人々は仕事、家族との生活、学校、親族・地域との関係を考えて動かない選択をしたのである。避難するも地獄、避難しないも地獄。その間の分断。補償金による分断。私たちはそこに丁寧に耳を傾けるしかない。
 そして、日本全体に汚染が広がり、食べ物が汚染され、農業者は打撃を受け、子どもたちは食べ物から遊びまで様々な制約を受けて暮らしていることも付け加えたい。
 政府は県民健康調査を実施するとしているが、その調査票を出した人は約30%以下。ホールボディカウンターで被ばくを測った人もわずかである。市民が健康相談会を福島市などで始めているが、今の段階では、放射能による健康被害を特定できる段階ではない。「風邪ひきやすい」「鼻血が出やすい」という心配をする人が多いが、因果関係はわからない。ただ、チェルノブイリ事故のあとの知見から、免疫力低下が大きいことはわかっている。甲状腺がんなどが増えるのは3年後、4年後のことだろう。その時にわたしたちはどう判断するのだろうか。