2012年3月6日火曜日

東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか①

韓国フェミニストジャーナル『イルダ』向けに原稿を送りました。
ふぇみんブログにも3回に分けてアップします。


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東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか①
 犠牲を無駄にしないと誓うために



 3月11日がまたやって来る。日本の東北の太平洋沿岸を襲った大津波と、それに続く福島第1原発の事故。死者1万5850人、行方不明3287人、全壊・半壊合わせて37万世帯、避難者約40万人の大規模な災害。あまりにも突然にテレビに映った巨大な津波の映像が、人々には映画のように見えるほど想像を絶したものだった。しかし今では恐怖と涙を誘うものとなって迫ってくる。それは多くの人の苦しみや体験を聞いてきた1年でもあったからだ。
 しかも福島第1原子力発電所の事故は、政府は収束宣言をしたが、実際は温度が上がるなど収束などしていない状態で、放射能の被害はほぼ日本全域を、あるいは北半球すべてを覆っている。それはさまざまな分断を産み、いまだに先が見えない状況であえる。

1、津波の被害からの復興
 東北の沿岸部を襲った津波被害は想像を絶するようなものだった。家や建物はほとんどが流され、内陸数キロにわたって津波が押し寄せ、すべてを押し流し、逃げ遅れた人々は溺死しあるいは打撲で亡くなったという。
 今津波の被災地はがれきがきれいに片づけられ、がれきは分別され巨大な山を築いている(がれき処理は政治問題となっている)。仮設住宅は高台の土地に建てられ商店が営業を始め、水産加工場が少しずつ始まり、大型スーパーマーケットも営業を始めている。
 仮設住宅は冬寒く、狭く、東北で大きな家に住んでいた人々にはとても苦痛だという。しかも高台にあるので、商店街などからは離れていて、これから孤立が問題となる。
 政府は失業保険をもらえる期間を延長し被災地域の雇用が復活するまでのつなぎとしてきた。そこで多くの人が失業保険を得て生活を維持している。2月くらいまででそれも切れる人が多い。そのほか全壊世帯には300万円の被災者生活再建支援金が支払われる(半壊世帯には半額)。家の再建にはほど遠いが、阪神淡路大震災の被災者が運動して勝ち取った制度である。これも家族単位であることが問題となっている。
 何度か津波の被災地域を訪れ、女性の雇用や仮設住宅での暮らしを聞いてきた。
 仮設住宅で孤独死防止のための取組として仮設見回り事業も始まり、被災者を緊急雇用促進事業で訪問員として雇い、見回りを行っている。
女性団体が女性たちを買いもの代行サービスと見守り事業のために宮古市、大槌町、野田村の被災者の女性9人を雇い、運営している事業がある。沿岸部が津波でやられてしまったため、高台にある仮設住宅からは買いものが不便だ。高齢化率の高い地域で、お年寄りにとっては移動手段がない。3人がチームとなって、車で頼まれた買いものをし、合わせて孤独死を防ぐ意味もある。名づけて「芽でるカー」。3年間は政府の補助金で続けられそうだという。
手づくり品をつくり、売っていくばくかの収入を得るのも盛んに行われ東京など全国で売られている。大槌はらんこ(はらんこはサケの卵のこと)は、大槌町の仮設住宅に住む女性たちが週に2回、集会所で集まって、マフラーや刺し子をつくっているグループだ。家族を流されてしまった人も多い。「みんなで集まって手を動かしていると、何も考えなくていい」と女性たちは言う。こうしたてづくり品を、会社経営としてたち挙げたグループもある。若手のビジネスマンが経営し大手百貨店などでも販売されているものがある。フェアトレードという位置づけをする人もいるが、日本と東南アジアの国ほどの経済格差はないので、女性たちが得る収入はわずかだ。
沿岸部の女性たちの多くは、水産加工場で働いてきた。ワカメが採れるときはワカメを加工し、ホタテ、カキが獲れればカキ、と1年を通じて季節ごとに働いてきたのだという。これらの女性たちは雇用なのか家族労働の延長なのか不明な人もいる。だが、漁業の復活はこれからなのだ。
がれき処理や重機を扱う男性のほうが、求人も多い。沿岸部で女性たちの雇用も求めていかなければならない。
東日本大震災女性支援ネットワークは、復興・防災へ女性の視点をということで活動してきた。緊急雇用制度の男女別統計を出させ、女性支援の重要性を各県にも申し入れている。また女性に対する暴力調査を行っているが、被災のストレスによるDVや子どもへの性暴力事例などが報告されてきている。16年前と変わったのは、震災によって女性に対する暴力が増えるということを否定する人が減ったしメディアにも出ているということであり、暴力自体を減らすことはできていない。