2008年8月22日金曜日

高齢女性たちのユーモアと大胆さが世界を変える!映画『マルタのやさしい刺繍』

先日、電車に乗っていたら、後方から声が聞こえてきた。
「はい、そこの手すりにつかまって!あなたはこっち!次で降りますからね。しっかりつかまってね!」
子どもに諭しているのかな、と思った。その発想もどうかと思うが、明らかに何らかの「権力関係」を背景に繰り出されている言葉と声の調子。
しかし、後ろをふり返った私はびっくりした。言われている人たちは、高齢女性たち!
諭しているのは彼女たちより若い、おそらく施設のスタッフと思われる女性たち。

・・・気分が重くなった。以前、高齢者施設に研修に行った時も同じように感じたものだ。

なぜ年をとったからといって、こんなに主体性を奪われなければならないのだろう??・・・

そんな時、映画「マルタのやさしい刺繍」の試写を知った。
なんと、80歳のマルタが念願だったランジェリーショップを開く・・という話。
高齢女性が、ランジェリー!?・・それだけでも充分に観る価値があるっていうものだが、同時にタイトルから受ける柔らかい感じに、「まさか、チャーミーグリーンじゃあるまいな」と猜疑心が沸いたのも事実。チャーミーグリーン(台所用合成洗剤の昔のCM)に出てくる、可愛くて、周囲に従順で、不平を言わず、みんなに愛されるおばあちゃん、ではあるまいか。

ところがどっこい!この映画はまったく違った。むしろ、辛辣で、パワフルで、それでいて
欲望に忠実で、ユーモアのある高齢女性たちが主人公。

スイスの山奥ののどかな村に住む80歳のマルタは、最愛の夫の死後、意気消沈し、無気力に暮らしていた。ある頼まれ事からマルタは友人たちと都会の布地屋へ。そして美しいレースを指でなでるうち、機械で大量生産された若い女性たち御用達の「安っぽい」下着をみるうち、若い時の欲望がむくむくと蘇ってきたのだ。
その欲望とは・・・パリにランジェリー・ショップをオープンさせること。裁縫の名人だったマルタはその昔、美しいランジェリーを作っていたが(もちろん手作業だ)、「最愛の夫」が
村の人には内緒にしておけと言ったので、マルタは自分がランジェリー作りの名手であることを誰にも言っていなかったのだ。

そこからマルタの挑戦と格闘が始まる。
一番にマルタに共感し、応援したのは、村では浮いた存在の「アメリカかぶれ」のシングルマザーのリージ。その後、最初は反対していた2人の友人、フリーダとハンニもマルタのショップを手伝い始める。
実はフリーダとハンニは自分が置かれている抑圧や窮屈な環境に嫌気がさし、マルタの情熱に押されて変っていったのだ。その環境とは、フリーダは何事にも許可が必要な老人施設の生活、ハンニは家事と夫の介護、息子がやるべき農場の仕事を一手に引き受けながら、息子(実は「老人を大事にする」と豪語する保守政党の地域リーダー」)によって夫とともに施設に送られようとしていること。「冗談じゃない!」

しかし、マルタと友人たちを阻むのは、「家父長的なプロテスタント社会」!
それは、「いかがわしい」とマルタを軽蔑する村人であったり、マルタの意思を聞かず無理やりショップの閉店を怒鳴りせまる息子であったりする。

でも、マルタも、友人たちも、自分が気づいた欲望と生きる情熱を手放さない。
息子たちの妨害や嫌がらせにも、ユーモアを持って撃退。

マルタの情熱は、友人たちの生きる情熱に火をつけ、ついにマルタの息子の心にも火をつける。それぞれがそれぞれの人生の場所で革命を起こしていく。

ラストシーン、マルタのショップに嫌がらせをした、地域リーダーのハンニの息子が「伝統を大事に」との演説中、マルタは乗り込み、「あんたは美しいものがわかっていない」とマイクを奪う。そして会場にいるマルタの情熱に動かされた友人たちが次々と叫ぶ。
「見つけたの、生き甲斐を!」「喜びもね!」「そう生きる喜びよ!」
いつの間にかマルタのステキなランジェリーは村の若い女性たちにも広がっていて、この村の家父長制をひょいと乗り越えていく様は圧巻だ。

実はこの映画の監督は、ベティナ・オベルリという女性。
自分の祖母の経験を傍でみていて、「高齢者は周囲の人々から物事を決める権利をうばわれがちです。すると高齢者は、自分が弱くなったと必要以上に感じてしまい、諦めの気持ちや、孤独な、あるいは暗く寂しい気持ちで、人生が終わるのを待つようになってしま」うと感じたという(パンフレットより)。
マルタと友人たちの挑戦に、情熱に、こちらの心にもぽっと光が灯った。宝物にしたい映画だ。(登)

☆「マルタのやさしい刺繍」(2006年/スイス/89分)秋、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー☆