2008年2月13日水曜日

KIの映画評 vol.16

今回紹介する2本の映画は、どちらもカメラが主人公の目となって映像を映し出す。あたり前のことだが自分が体験したかどうかにかかわらず、想像力を駆使して現実に見えるものにしていくのが映画監督の仕事だ。今回の映画で、主人公が見ているものと同じものを見る私たちは、同時に映画の中で主人公と同じ体験をすることになる。(KI)

■ 『ぜんぶ、フィデルのせい』★★★★☆
 フィデルはもちろんフィデル・カストロのこと。1970年代のパリ、弁護士の父と雑誌 記者の母、やんちゃな弟。何不自由ない生活を送っていた9歳の少女アンナの生活がある日激変してしまう。それは両親が反体制運動に目覚めてしまったから…。
 チリに旅立ち、アジェンデ政権のために働くことを決意する両親。小さなアパートに引越し、家にはひげだらけの怪しげなおじさんたちが入りびたり…。
             アンナの目線に映し出される五月革命後の激動のパリの社会と、ちょっぴり理不尽にも見えるおとなたちの変化が、ときにユーモラスに、ときにリアルに展開する。不満を爆発させるアンナだが、やがて“自由”や、“社会”について自分なりに考え始めていく。
 映画の中で描かれる、アンナの母親が深くかかわることになるフェミニズム運動に注目!実際にフランスで中絶の解禁を求めて、「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌71年4月5日号に掲載された「343人の宣言」は、多くの中絶をした女性の、自分もまたその一人であることを宣言し、その危険性と中絶の自由を訴えたもの。ボーヴォワール、サガン、カトリーヌ・ドヌーブ、マルグリッド・デュラス、ジャンヌ・モローなどが名を連ねている。映画の中ではアンナの母親も記者として、中絶をした女性の聞き取りをし、自分もまたその宣言に名を連ねる。
 映画は、アンナの目線でおとなたちを追っていきながら、彼女が自分の体験を通して、自ら変わっていく姿を自然に描いていく。監督は本作が初の長編映画となる       ジュリー・ガヴラス。 

■ 『潜水服は蝶の夢を見る』★★★☆☆
 1996年、ELLE誌編集長として人生を謳歌していたジャン=ドミニク・ボビー(通称 ジャン=ドー、43歳)は、突然倒れ、身体の自由を失う。そして唯一動く左目の20万回以上の瞬きで自伝を書き上げる。身体は潜水服を着たように動かなくても、蝶のように自由に羽ばたく記憶と想像力でつづられ、ベストセラーになった、同名の自伝の映画化。
 前半、映画は病院のベッドの上のジャン=ドーの目線で映し出される。身体が動かず、見えるのは目の前に突然現れる顔、顔…、言葉は伝わらない。
次々と目の前に現れては消える人の顔、それは医者、看護師、友人…、時々ぼやけ、不鮮明になる視界、遠くなる意識…。その映像は、見ている者が彼と一体になったかのようにリアルだ。
 しかし、美しい言語療法士たちや、愛人などとの病院での“潜水服”の中からの会話は、パリの優雅な生活を彷彿とさせるような伊達男ぶり。シニカルでウイットに富む彼の会話は、絶望の淵に立っていても、ときにユーモアさえ感じさせる。
 自伝の執筆が進み、茫漠たる過去を旅するジャン=ドー。映画が進むに連れ、彼とともに彼の目で世界を見、感じている自分に気がつく。
 本作は、ゴールデングローブ賞2部門受賞のほか、アカデミー賞主要4部門ノミネート。

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