投稿 2014年沖縄と心をつなぐ旅
こひら よし(文と写真)
「国際女性年大阪連絡会」の沖縄連帯行動で、2013年12月22日にドキュメンタリー映画『標的の村』を見た。
豊かな恵みの辺野古・大浦湾のサンゴや絶滅危惧種のジュゴンやうみがめが生息している美しい海に日頃のストレスフルな心が癒された。そして沖縄本島北部の“やんばるの森”にある東村・高江は人口150人の農村だが、その中に米軍基地があることの現実に私の胸は押しつぶされた。高江集落を標的にした米軍の 垂直離着陸機オスプレイの強行配備に対して、誇りを持って抵抗する高江の人々の姿に心を打たれた。
そして、オスプレイ配備に反対して、宜野湾市・普天間基地のゲート封鎖という「非暴力・実力行使」を敢行した沖縄県民ぐるみの闘い、国策に反対する住民を国家が訴える「SLAPP裁判」(SLAPPとは英語でstrategic lawsuit against public participation)や同じ県民の沖縄警察による強制排除などを、三上智恵監督が温かい人間愛によって制作している。
最初から涙が出て止まらなかった。見終わった時まず沖縄に行きたいと思った。数日後、早く行こうと決め、友人に話したら、「思いついたら、すぐ実行したい人ですね」と言われた。
2013年12月、県民の意志を無視して、辺野古の沿岸埋め立てを仲井眞知事が承認したという報道に驚いた。怒りですぐ仲間に電話をして話し合い、今自分にできることをしようとカンパを振り込んだ。
年明けに国際女性年大阪連絡会主催の「沖縄と心をつなぐ旅」の案内状を見て、その場で申込みをした。その日から、私の心は沖縄の歴史に飛んでいった。30数年前の沖縄旅行がよみがえり、沖縄は今もって戦争が終わっていないのだと心が痛んだ。
2014年1月17日に開かれたふぇみん大阪の新年会の参加者が、沖縄の基地闘争を頑張っている住民の人たちにそれぞれの思いを寄せ書きにしてくれた。そして、シニア部会の“にゃんこお手だま”や創作袋なども準備した。更に会議の後カンパを呼び掛けて集めた。仲間のそれぞれの思いをしっかりと届けようと誓った。
ふぇみん大阪の寄せ書き |
◎ 命どう宝 沖縄から全ての基地をなくして、平和の拠点に!
◎ 日本に基地はいらない、ともに戦う!!
◎ 侵略戦争とレイプ元凶の基地を世界からなくそう
◎ 沖縄に犠牲を強いてはならい、安部政権打倒!
2月14日(金)出発そして那覇到着
大雪の降る関西をあとに那覇空港へ。晴れているのでまず安心した。昼食は沖縄そば。久しぶりにわくわくして食べた。自己紹介では、初めての人達で緊張して、声が大きすぎて自分でも子どものようだと思った。後から、「ふぇみんを知っています」と声をかけてくれたのが嬉しく仲良しになれた。
ホテルの部屋はシングルで、思いきり体をのばした。今までのストレスが消えていくような感じであった。さくらが散り始めていたのにはびっくりした
夕食は珍しい沖縄料理がどんどんどん出てきて、美味しく味付けの違いにびっくりしたり、喜んだり、おしゃべりがはずんだ。更に、沖縄民謡のお兄さんが現れて、ステキな歌を聞かせてくれた。
平和の碑 |
2月14日(金)午後
平和祈念公園で関西の戦死者のお参りをした。戦後69年経ても戦死者が増えていると知り驚いている。名前の字が間違えている場合は訂正もしてくれるとのこと。「平和の灯」で祈りをささげた。
沖縄県平和祈念資料館に入った。以前より資料が追加されており、当時のことがより理解しやすくなっているのに嬉しく感謝にたえない。私は今回で2回目の訪問であるが、涙は止まらなかった。戦後69年経っているのに、今、まだ沖縄に基地を許している大人であることの後悔がある。資料館では、たくさんの沖縄の人たちが飛び降りた崖を展望台から眺め、亡くなった人たちの思いはどんなものかと・・・・・・・。
戦争を知らない世代にどうなっているのだと問われると、申し訳なくて「ごめんなさい」と謝るしかない。だから、残された命の続く限り反戦平和を訴えていくことが使命である。
2月15日(土)午前
基地の周辺をバスで走る。2004年夏に沖縄国際大学にヘリコプターが落ちた時の焦げた傷跡も見えた。事故後、米軍によって事故の跡は処理されてしまったと聞き、悔しさと怒りが込み上げてきた。
◎2007年から闘っている人の話
基地のなかを走る。東村高江区にはいる
豊かな森に囲まれた地域をやんばる(山原)という。やんばるの森には地球上でここだけにしかない「ヤンバルクイナ」「ノグチゲラ」などの固有種や絶滅危惧種が数多く生息している。国際自然保護連合(IUCN)が保護を求めるほど、世界的に貴重な生物多様性の宝庫だ。多くの人たちがその価値を認め、世界遺産、そして国立公園の候補にも挙がっている。このやんばるの森の中に東村高江がある。実に緑豊かな美しい山と川に囲まれている。総面積7800ヘクタールの米軍北部訓練場(ジャングル戦闘訓練センター)は隣り合わせにある。1957年にジャングルでの戦闘訓練を目的に使用が始まり、その3年後に開始されたベトナム戦争のためにゲリラ戦訓練が行われたのである。住民は爆音や墜落の危険にさらされている。一番近い民家からは、わずか400mしか離れていない。ここまで説明を聞いて、やつぱり、沖縄県民に多大な犠牲を強制しているのだと、情けない思いと怒りが湧いてきた。
突然、頭の上で「ドンドン」「バタバタ」と、おなかに響く大音響がずしんずしんときた。「オスプレイが来た!」。話は中断。それが数回ある。体が震えていたが慌てて写真をとった。
次に電話が入った。「不審な車が向かっている」。参加者全員でゲート前に並んでとうせんぼをする。しばらくして、黒の大型車が4台通りすぎていった。胸がドキドオキ、足がガタガタ。沖縄は戦場だ!!
平和を掲げ長年闘って来たつもりでいた私だが、やはり、沖縄をアメリカの植民地にしているヤマトンチュの一人だと認識させられた。
普天間基地に並ぶオスプレイ |
◎ヘリパッドについて
ヘリパッドとはヘリコプター離着陸帯のこと。直径75mの円形に造形されている。軍事ヘリが飛び交っている。激しい爆音と、低空飛行で県道脇の木の枝が引きちぎられ、道路に飛び散っている。夜間訓練もあるときいた。住民は身心ともにストレスが計り知れないだろうとこころが痛んだ。子どもたちもその中で育っているのである。
◎高江でオスプレイ訓練
2012年、新機種の垂直離着陸機MV22オスプレイが配置されることになり、ますます危険な状況である。同年9月「オスプレイ配備に反対する県民大会」が、約10万1000人の参加で開かれた。オスプレイ配置計画の撤回と米軍普天間飛行場の閉鎖、撤去を強く要求する決議を採択した。説明者は「この時は政党や組織など乗り越えて全県民が集まり嬉しかった」と、力強く話された。
こんなにギリギリに飛ぶオスプレイ |
◎沖縄の水が危ない
沖縄は、生水が貴重で各家庭には屋根の上にタンクを設置して水道水を貯めて生活をしている状況を知り、改めて本当の沖縄体験である意味の重さを心に刻んだ。東村・高江には5つのダムがあり、沖縄本島生活用水の6割を賄う貴重な水源地である。ダムでは1万発以上の投棄された弾薬類が発見されたという。ダム汚染も心配である。