反貧困キャラバン出発式が今日、埼玉県の浦和で開催された。私はシングルマザーの知人が、体験を話すので、付き添いで途中まで参加した。弁護士会や司法書士会など大きな団体がからんでいて、ちょっと堅苦しい感じになっていた。もっと当事者がいろいろからめるといいのにね。最初に5人の人が体験や実情を話した。日雇い派遣で働いていた金城さんは、100円のマスクでアスベスト除去の仕事をさせられて、日給5000円をもらったなど酷い状況を話していた。ホームレス体験から、ホットポットという支援団体に相談して今は働きながらアパート生活ができるようになった50代の男性と、ネットカフェ生活から、ホットポットの支援を受けてそこから抜け出せた、30代の男性などが話していた。シングルマザーの知人は、ダブルワークをやりながら、高校受験の子どもに無理しながら塾費用を捻出し、やっと公立に入れたらまた入学のときにお金が必要だったという体験から、教育格差の話をし、シングルマザーの生活と子どもの教育の問題を出せたのはよかった。
だが、会場にいながら、なんか…これって非対称だなあ…って思った。
2人の男性が仕事がうまくいかなくなり貧困に陥ったときに、妻と子どもたちと別れたと語っていた。彼らの体験は生々しい体験談だった。だが別れた妻や子どもたちがどう暮らしているのだろう、という心配や配慮の言葉はなかった。あるいは、将来、子どもに養育費を送ってやりたい、というような希望も語られなかった。
貧困に陥ったときに、家族を維持できなくなることがある。
そのときに男性片働きで家族を維持しようとするのか、あるいは共働きで家族を維持しようとするのかはその夫婦のジェンダー観による。この2人は聞いていると片働きを志向していたようだ。そしてそのほうが確実に家族が維持できなくなる限界は早くくる。(だって1人で19万円の稼ぎじゃ、家族4人は暮らせないよ)
そして、その別れ方がどうだったのかは分らないのだが、別れた子どもたちを自分が養育すべきなのだ、という発言はなかった。妻とのいざこざはつらい体験なので話せないのかもしれないが。
だが引いたところでみれば、彼らの陰に、成長期にありながら、もっと困難を抱えているに違いない、子どもたちと、母である女性がいるだろうということは…あるいは母も子を捨てているかもしれないけれど、子どもたちがいるだろうことはほぼ確実である。
そして支援の目指すべき方向は、もちろん、生活保護などの福祉を活用できることは言わずもがなであるし、妻との関係はともかくも、彼らが徐々に就労していくことで、毎月少しずつでも子どもへ養育費を送れるようになるところまでではないのかと思う。
まだもやもやしているのだけれども、貧困だから結婚できないといって「希望は戦争」という男性にも、また借金を抱え仕事がうまくいかなくなり妻子と別れてホームレスやネットカフェ難民になったと語る男性にも、似たようなジェンダー問題を感じてしまう。
そして、実は女性から否定されたり、女性から信頼されたり、という事柄が、その男性の自信やアイデンティティーに大きな影響があるようだ、と感じるからだ。そこが困ったものなのだが。
そうそう、弁護士会の人が「被害実態」と言っているのもちょっと違和感があった。
さらには、ワーキングプア男性が、シングルマザーをセーフティネットに使って宿と食事とセックスを提供させていたりすることも…あったりすることも私は知っている。それはその人の選択ともいえるが社会的にみれば一つの傾向として感じられるのだ。
ところで、6月5日号ふぇみんに渋谷知美さんが「『低収入だから結婚できない』への違和感」という論考を書いてくれている。これをワーキングプアのユニオンをやっている男性に見せたら、これはデータの読み方が違うなど、かなり激しく反応していた。
その後具体的に反論してほしいのだが、ないのがちと残念ではあるのだ。
(衣)