2014年4月1日火曜日

ウクライナへの軍事介入、クリミア併合問題に関し、プーチンロシア大統領への申し入れ

ふぇみん婦人民主クラブも呼びかけ団体になっているWORLD PEACE NOW
が、3月18日に

「ロシアによるウクライナへの軍事介入に抗議し、クリミア併合という軽挙を
行わないよう要請します」という申し入れを行った。
下記に申し入れの全文を挙げます。

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ロシアによるウクライナへの軍事介入に抗議し、

クリミア併合という軽挙を行わないよう

要請します




                    WORLD PEACE NOW
                         2014年3月18日

ロシア連邦大統領 ウラジーミル・ウラジーミロヴィッチ・プーチン様

私たちWORLD PEACE NOWは、2003年のアメリカならびに多国籍軍によるイラクへの戦争・軍事占領に反対して作られた運動体です。私たちは「武力で平和はつくれない」という理念の下に戦争、戦争につながるあらゆる動きに反対し、人びと自身が平和を築き、世界の人々とつながっていく活動をつづけてきました。私たちは、日本政府がこの戦争に加担し、自衛隊を海外に派兵することにも反対してきました。

私たちは、今回のウクライナの政変を機に、ロシアがウクライナ領であるクリミアに軍事介入し、その圧力の下で、ロシア系住民を中心にしたクリミア自治共和国政府による「住民投票」という手段で、クリミアをロシアに編入・併合しようとしていることに強く抗議します。
紛争と「ロシア人保護」「クリミア自治共和国政府の支援要請」などを口実にしたウクライナ領クリミアへの軍事介入、そしてロシア軍の圧力下での「住民投票」と「住民の意思」を理由にした他国領土の自国への編入――これらはいずれも、国連憲章、国際法、ウクライナの憲法に違反する行為です。
ロシアの軍事力を背景にしたクリミアの住民投票に対しては、人口の24%のウクライナ人や、18%を占めるクリミア・タタール人の多くが反対し、とくに、かつて第二次大戦中に自らの意に反して中央アジアに強制移住させられたクリミア・タタール人は、自らの苦難の歴史的体験を思い起こし、ロシアへの強制編入に反対し、投票をボイコットしたと報じられています。
ウクライナの主権を侵害し、相対的な少数民族の意思や権利を侵害した今回の不法な行為は、地域と世界の平和を破壊し、緊張を作り出すものであると私たちは考えます。
私たちは、ロシアであろうとウクライナであろうと、民族的差別と敵対をあおるあらゆる排外主義に反対し、少数民族の権利の尊重の上に立って、民族間の平等にもとづく平和と共生の関係を築き上げていくことが必要であり、それは可能だと考えています。
私たちはプーチン大統領とロシア政府が、軍隊をクリミアから即時撤退させ、「住民投票」を理由にしたクリミアのロシアへの編入・併合を行わないことを強く求めます。


WORLD PEACE NOW

2014年3月18日火曜日

◆半田滋さんに聞く 「積極的平和主義」の行方◆

もう今日(2014/3/18)の晩なのですが、

いまこそ聞こう!半田滋さんの語る「積極的平和主義の行方」

安倍の「集団的自衛権」と「解釈改憲」には党内部からも異議が出た。
これから、わたしたちは何を選択し、どう進むべき?

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◆半田滋さんに聞く 「積極的平和主義」の行方

2014年3月18日(火)19:00~21:00

世田谷区立烏山区民センター3F集会室(定員120名)(京王線千歳烏山駅)

資料代 800円

共催 今とこれからを考える一滴の会 03-5313-1525

/世田谷市民運動・いち 03-3706-7204

2014年1月、通常国会冒頭の施政方針演説で安倍首相は、世界平和と安定への一層の貢献をうたう「積極的平和主義」を外交、安全保障政策の「基本思想」 と位置づけ、集団的自衛権の行使を可能にする憲法解釈の変更について「対応を検討する」とした。さらに舛添氏が当選した都知事選挙後には、集団的自衛権の 行使容認に関して関連法案を国会に提出すると表明し、加えて衆院予算委員会で、「最高責任者は私だ」と憲法の立憲主義を否定ともとれる発言をした。安倍首 相の「積極的平和主義」はどこに進もうとしているのか。東京新聞の半田滋さんにお話を伺います。

【半田滋さんからのコメント】
 国家安全保障会議、特定秘密保護法をつくった安倍政権は「積極的平和主義」をスローガンにした国家安全保障戦略を発表しました。日本国憲法の柱である平 和主義とはまるで違う、武力行使もありの力づくでなんでも解決する国にしようというのです。この国会で安倍政権は、解釈改憲によって集団的自衛権の行使を 可能にし、世界のどこでも戦争のできる国につくりかえようとしています。さらには国家安全保障基本法を制定し、立法改憲によって、平和憲法の息の根をとめ ようというのです。戦前のような軍国主義に戻った日本をわたしたちは断じて認めるわけにはいきません。今こそ、満身の力を込めて安倍政権に「ノー」を突き つけましょう。

◆半田滋(はんだ しげる)さんプロフィール
1955年(昭和30)年栃木県宇都宮市生まれ。下野新聞社を経て、91年中日新聞社入社、東京新聞編集局社会部記者を経て、2007年8月より編集委 員。93年防衛庁防衛研究所特別課程修了。92年より防衛庁取材を担当。04年中国が東シナ海の日中中間線付近に建設を開始した春暁ガス田群をスクープし た。07年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。著書に、「集団的自衛権のトリックと安倍政 権」(高文研)、「防衛融解 指針なき日本の安全保障」(旬報社)、「『戦地』派遣 変わる自衛隊」(岩波新書)=09年度日本ジャーナリスト会議 (JCJ)賞受賞、「自衛隊vs北朝鮮」(新潮新書)、「闘えない軍隊」(講談社+α新書)、共著に「改憲と国防」(旬報社
)、「秘密保護法は何をねらうか」(高文研)などがある

2014年3月17日月曜日

沖縄と心をつなぐ旅 〈会員の投稿〉



 投稿 2014年沖縄と心をつなぐ旅    

                                                                                            こひら よし(文と写真)


   「国際女性年大阪連絡会」の沖縄連帯行動で、2013年12月22日にドキュメンタリー映画『標的の村』を見た。
 豊かな恵みの辺野古・大浦湾のサンゴや絶滅危惧種のジュゴンやうみがめが生息している美しい海に日頃のストレスフルな心が癒された。そして沖縄本島北部の“やんばるの森”にある東村・高江は人口150人の農村だが、その中に米軍基地があることの現実に私の胸は押しつぶされた。高江集落を標的にした米軍の 垂直離着陸機オスプレイの強行配備に対して、誇りを持って抵抗する高江の人々の姿に心を打たれた。
 そして、オスプレイ配備に反対して、宜野湾市・普天間基地のゲート封鎖という「非暴力・実力行使」を敢行した沖縄県民ぐるみの闘い、国策に反対する住民を国家が訴える「SLAPP裁判」(SLAPPとは英語でstrategic lawsuit against public participation)や同じ県民の沖縄警察による強制排除などを、三上智恵監督が温かい人間愛によって制作している。
 最初から涙が出て止まらなかった。見終わった時まず沖縄に行きたいと思った。数日後、早く行こうと決め、友人に話したら、「思いついたら、すぐ実行したい人ですね」と言われた。

 2013年12月、県民の意志を無視して、辺野古の沿岸埋め立てを仲井眞知事が承認したという報道に驚いた。怒りですぐ仲間に電話をして話し合い、今自分にできることをしようとカンパを振り込んだ。

 年明けに国際女性年大阪連絡会主催の「沖縄と心をつなぐ旅」の案内状を見て、その場で申込みをした。その日から、私の心は沖縄の歴史に飛んでいった。30数年前の沖縄旅行がよみがえり、沖縄は今もって戦争が終わっていないのだと心が痛んだ。

 2014年1月17日に開かれたふぇみん大阪の新年会の参加者が、沖縄の基地闘争を頑張っている住民の人たちにそれぞれの思いを寄せ書きにしてくれた。そして、シニア部会の“にゃんこお手だま”や創作袋なども準備した。更に会議の後カンパを呼び掛けて集めた。仲間のそれぞれの思いをしっかりと届けようと誓った。


ふぇみん大阪の寄せ書き


◎ 命どう宝  沖縄から全ての基地をなくして、平和の拠点に!

◎ 日本に基地はいらない、ともに戦う!!


◎ 侵略戦争とレイプ元凶の基地を世界からなくそう 


◎ 沖縄に犠牲を強いてはならい、安部政権打倒!



2月14日(金)出発そして那覇到着

 大雪の降る関西をあとに那覇空港へ。晴れているのでまず安心した。昼食は沖縄そば。久しぶりにわくわくして食べた。自己紹介では、初めての人達で緊張して、声が大きすぎて自分でも子どものようだと思った。後から、「ふぇみんを知っています」と声をかけてくれたのが嬉しく仲良しになれた。
 ホテルの部屋はシングルで、思いきり体をのばした。今までのストレスが消えていくような感じであった。さくらが散り始めていたのにはびっくりした
 夕食は珍しい沖縄料理がどんどんどん出てきて、美味しく味付けの違いにびっくりしたり、喜んだり、おしゃべりがはずんだ。更に、沖縄民謡のお兄さんが現れて、ステキな歌を聞かせてくれた。

平和の碑


2月14日(金)午後

平和祈念公園で関西の戦死者のお参りをした。戦後69年経ても戦死者が増えていると知り驚いている。名前の字が間違えている場合は訂正もしてくれるとのこと。「平和の灯」で祈りをささげた。
 沖縄県平和祈念資料館に入った。以前より資料が追加されており、当時のことがより理解しやすくなっているのに嬉しく感謝にたえない。私は今回で2回目の訪問であるが、涙は止まらなかった。戦後69年経っているのに、今、まだ沖縄に基地を許している大人であることの後悔がある。資料館では、たくさんの沖縄の人たちが飛び降りた崖を展望台から眺め、亡くなった人たちの思いはどんなものかと・・・・・・・。

戦争を知らない世代にどうなっているのだと問われると、申し訳なくて「ごめんなさい」と謝るしかない。だから、残された命の続く限り反戦平和を訴えていくことが使命である。

2月15日(土)午前

基地の周辺をバスで走る。2004年夏に沖縄国際大学にヘリコプターが落ちた時の焦げた傷跡も見えた。事故後、米軍によって事故の跡は処理されてしまったと聞き、悔しさと怒りが込み上げてきた。


2月15日(土)午後

2007年から闘っている人の話
基地のなかを走る。東村高江区にはいる
豊かな森に囲まれた地域をやんばる(山原)という。やんばるの森には地球上でここだけにしかない「ヤンバルクイナ」「ノグチゲラ」などの固有種や絶滅危惧種が数多く生息している。国際自然保護連合(IUCN)が保護を求めるほど、世界的に貴重な生物多様性の宝庫だ。多くの人たちがその価値を認め、世界遺産、そして国立公園の候補にも挙がっている。このやんばるの森の中に東村高江がある。実に緑豊かな美しい山と川に囲まれている。総面積7800ヘクタールの米軍北部訓練場(ジャングル戦闘訓練センター)は隣り合わせにある。1957年にジャングルでの戦闘訓練を目的に使用が始まり、その3年後に開始されたベトナム戦争のためにゲリラ戦訓練が行われたのである。住民は爆音や墜落の危険にさらされている。一番近い民家からは、わずか400mしか離れていない。ここまで説明を聞いて、やつぱり、沖縄県民に多大な犠牲を強制しているのだと、情けない思いと怒りが湧いてきた。
突然、頭の上で「ドンドン」「バタバタ」と、おなかに響く大音響がずしんずしんときた。「オスプレイが来た!」。話は中断。それが数回ある。体が震えていたが慌てて写真をとった。
次に電話が入った。「不審な車が向かっている」。参加者全員でゲート前に並んでとうせんぼをする。しばらくして、黒の大型車が4台通りすぎていった。胸がドキドオキ、足がガタガタ。沖縄は戦場だ!!
平和を掲げ長年闘って来たつもりでいた私だが、やはり、沖縄をアメリカの植民地にしているヤマトンチュの一人だと認識させられた。


普天間基地に並ぶオスプレイ



◎ヘリパッドについて
ヘリパッドとはヘリコプター離着陸帯のこと。直径75mの円形に造形されている。軍事ヘリが飛び交っている。激しい爆音と、低空飛行で県道脇の木の枝が引きちぎられ、道路に飛び散っている。夜間訓練もあるときいた。住民は身心ともにストレスが計り知れないだろうとこころが痛んだ。子どもたちもその中で育っているのである。



◎高江でオスプレイ訓練
2012年、新機種の垂直離着陸機MV22オスプレイが配置されることになり、ますます危険な状況である。同年9月「オスプレイ配備に反対する県民大会」が、約10万1000人の参加で開かれた。オスプレイ配置計画の撤回と米軍普天間飛行場の閉鎖、撤去を強く要求する決議を採択した。説明者は「この時は政党や組織など乗り越えて全県民が集まり嬉しかった」と、力強く話された。

 
高江の説明をする伊佐さん
オスプレイが頭上に

こんなにギリギリに飛ぶオスプレイ
 



◎沖縄の水が危ない
 沖縄は、生水が貴重で各家庭には屋根の上にタンクを設置して水道水を貯めて生活をしている状況を知り、改めて本当の沖縄体験である意味の重さを心に刻んだ。
 東村・高江には5つのダムがあり、沖縄本島生活用水の6割を賄う貴重な水源地である。ダムでは1万発以上の投棄された弾薬類が発見されたという。ダム汚染も心配である。






2013年7月10日水曜日

玉本英子さんに聞く シリア



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      玉本英子さんに聞くシリア

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混沌としたシリア情勢。新聞やインターネットの報道で伝えられてくる
限られた情報。普通 の人々は耐乏生活を強いられているのではないか。
子どもや女性はどんな暮らしなのか。今年の春、シリアを取材された
ジャーナリストの玉本英子さん(アジア プレス所属)に豊富な写真を
みながらお話を聞きます。



日 時◆ 2013年89日(金) 18時45分(18時15分開場)
場 所◆ 渋谷消費者センター会議室
       (渋谷郵便局裏・渋谷駅より徒歩5分)
参加費◆ 800円


(玉本さんのメッセージ)
内戦が2年目を過ぎたシリアですが、解決への糸口は誰にも見出せて
いません。「どの勢力も自分たちの利権だけを考えている。アサド政権が
崩壊しても平和は来ない」と人びとは言います。各勢力間の戦闘の狭間で、
多くの市民が犠牲となっている現状を知っていただければと願います。


【プロフィール】
玉本英子(たまもと・えいこ)さん
東京生まれ、大阪在住のフリーランス記者。94年からアジアプレスに所属し、
イラクなど中東を中心に取材する。京都精華大学非常勤講師

主 催◆ ふぇみん婦人民主クラブ 
  tel03(3402)3238
  eメールfemin@mvi.biglobe.ne.jp

2013年7月1日月曜日

橋下「沖縄の女性が性の防波堤」発言について

またもや橋下日本維新の会代表の発言を発端にした話題です。(長文です)

慰霊の日に沖縄を訪れた日本維新の会の橋下代表が6月23日、
「沖縄の女性が防波堤となり進駐軍のレイプを食い止めてくれていた」と
発言していた。
(報道があまり見つからず、琉球朝日放送、6/24の橋下代表 「他国の歴史の指摘も必要」のみ)

この発言についてはアジア女性資料センターの国内ニュースも参照を。
橋下氏「沖縄の女性が性の防波堤となってくれた」
http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=806

橋下氏の発言は、浦添市で開催された沖縄の地域政党「そうぞう」主催の
講演会でのこと。
「(当時内務省は)特殊慰安施設協会ですか、これを作って沖縄にも置いた。
沖縄県民の女性が、その多くの女性や子供たちを守るために、まあある意味、
防波堤みたいな形になってそこで食い止めてくれる。そういうことも歴史的な
事実としてあったわけです。それを米軍が利用していたことも事実。そういう
ところを ちゃんと指摘しない、言われたら言われっぱなしの日本の政治家が、
日米地位協定の交渉なんかできますかね」


この「特殊慰安施設協会」と沖縄の関連などを、日本国内の占領軍「慰安所」の
調査・研究をしている平井和子さん(一橋大学院生)に尋ねた。
その回答を紹介したい。(編集部・さ)


(平井さんの見解は、一部のMLに発表済み)
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よりによって、「沖縄慰霊の日」に、沖縄の人たちの気持ちを逆なでするような、
相変わらずの女性を二分化した「性の防波堤論」! ここでしっかり対応して、
叩き潰しておくチャンスにしたいですね。

まず、押さえておくこととして、RAA(日本名は特殊慰安施設協会)は東京のみ(一部例外として千葉と熱海)に作られたもので、全国の米軍進駐先につくられた「特殊慰安施設」ものとは別者です(両者を混同して全国にRAAが作られたと思っている人が多いのですが)。
わたしは「本土」の占領軍「慰安所」については押さえているのですが、果たして内務省の指令が沖縄へも向けて出されたのかどうかは、現時点は確認できません(この点、国会図書館で『沖縄県警察史』戦後編を確認してみてください)。
 ただ、沖縄にも「米軍慰安所」があったことは、『なは・女のあしあと』(那覇市総務部女性室編 琉球新報社2001年)に記述があり、それを大阪大学の藤目ゆきさんが、紹介されています。2例あります。
①沖縄戦が終わらない時期から早々と『米軍慰安所』が作られ、1つは米軍上陸から間もない4月、本部半島を占領した米兵隊第六師団が運天に売春宿(キャットハウス)を。13歳くらいの少女もまじっており、米軍が性病検査をして
いた。
②旧日本軍「慰安所」の経営者が女性を引き連れて、今帰仁村の区長を通じ米軍の許可を得て、「慰安所」を開設した。村で一番大きな家の前には連日兵士の行列ができたという。
(「東アジアの冷戦とジェンダー」平成15年科学研究費補助金(C)報告書
p.22より)


ということで、今のところ、手も持ちの資料からは、内務省の指令(45年8月18日)以前の沖縄戦の最中から、米軍によって米軍「慰安所」は設置されたこ となどがうかがわれます。また、民間業者による「慰安所」設置には、日本軍「慰安所」と米軍「慰安所」の連続性が見られます。

それと、時代がもう少し進んで1950年代の米軍統治下の沖縄の性売買に関しては、小野沢あかねさんが以下のような指摘をされています。
―沖縄戦で生活が破壊された女性たちや生活困窮の家庭の少女たちが人身売買され、米兵相手の売春を余儀なくされた。米兵相手の女性たちの間借りが増え、米 兵が住民の居住地域を行き来し、米兵の性犯罪も増加したため、住民のなかから「一般女子」や青少年を「風紀の乱れ」から守るための「防波堤」をつくるとい う名目で、特定の地域に限定して米兵相手の特殊飲食店街を作る動きがでてきた、とのこと。これがコザや宜野湾の特飲街の形成となった、ということで、
米兵の性犯罪の凄まじさに、住民側が「一般女子」を守るための「防波堤」という倒錯した発想をせざるを得なかったということに悲しさを感じずにはいられま せん。(小野沢あかね「戦後沖縄における売買春と売春防止法―暮らしに刻印される米軍支配」大妻女子大学 人間生活文化研究所 2011年度共同研究プロ ジェクト編『2011年12月4日 ”日米軍事『同盟』と売春防止法 報告書』より)

橋下氏が強弁するように、米軍も韓国軍も、「慰安婦」を利用したではないか?という指摘に関しては、日本軍「慰安所」との違いをきちんと押さえつつも、 「軍隊と性暴力の共生関係」=軍事組織に共通する問題として、それを解体していく方向(橋下氏とは逆方向)で問題にしていかねばならないと思っています (詳しくは『インパクション』190に「軍隊と性差別の深い関係―橋下発言をめぐって」)

以上、あまりしっかりとした史料提示ができませんが、取り急ぎ。平井和子
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