パリで、大江健三郎と鎌田慧が語った「3.11」。
2010年12月に一面インタビューに登場された、パリ
在住の飛幡祐規(たかはたゆうき)さんから、最新の
コラムを紹介いただきました。
レイバーネットのサイトに不定期で掲載されている
コラム「パリの窓から」の第19回です。
「パリの窓から」第19回
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みなさま
春分をすぎて、このところパリでは明るい陽射しに恵
まれています。
ひさびさにコラムを更新しましたので、お知らせしま
す。
3.11の前後、さまざまな催しに参加したりなど、めま
ぐるしく動いておりましたが、
そのなかでとても感銘を受けた、パリのブックフェア
での大江健三郎さんと鎌田慧さんの
言葉を紹介します。
「パリの窓から」第19回
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2012年3月28日水曜日
2012年3月16日金曜日
3月27日つくれ住民票・第2次訴訟判決★期日変更★
ふぇみん3月15日号イベントインフォメーションでお知らせしました、
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【3月27日(火)つくれ住民票・第2次訴訟判決】
....。o○o 。.. ..。o○o 。.. ..。o○o 。.. ..。o○o
第2次訴訟 第一審判決 の 期日が 変更 になりました。
新しい期日は
2012年4月26日(木)13時15分
東京地裁522号法廷です。
詳しくはこちらをご覧ください。
↓ ↓ ↓
なくそう婚外子差別 つくれ住民票
(ふぇみん編集部)
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【3月27日(火)つくれ住民票・第2次訴訟判決】
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第2次訴訟 第一審判決 の 期日が 変更 になりました。
新しい期日は
2012年4月26日(木)13時15分
東京地裁522号法廷です。
詳しくはこちらをご覧ください。
↓ ↓ ↓
なくそう婚外子差別 つくれ住民票
(ふぇみん編集部)
2012年3月6日火曜日
東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか③
韓国フェミニストジャーナル『イルダ』へ送った原稿の3回目
東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか③
3、原発政策は転換できるのか
福島第1原発事故のあと、脱原発へと日本が政策転換しなければならないと思った人は多い。9月19日の「さよなら原発集会」は日本では珍しい6万人を越えた集会となり、脱原発の1000万人署名は4,193,872筆(2月17日現在)を越え(12月時点)、続く放射能による被害の結果、市民の脱原発の意思は衰えているとは思えない。今年の1月の脱原発世界会議には会場をあふれる1万1500人が参加した(ソウル市長のメッセージビデオも映し出された)。しかし、ドイツで実現した政策転換が、日本ではなかなか進まない。世論の8割が脱原発に賛成であるが、脱原発を掲げた菅直人前首相の退陣後、野田政権は経済界のいいなりになり、現在は原発推進派が盛り返している。
事故後にもかかわらず、あろうことか、日本はベトナムとヨルダンへの原発輸出へ向けての手続きを進めている。
現在日本では原子力発電所54基のうち2基のみが稼働し、あとは定期点検等で止まっている。北海道の北海道電力の泊原発3号炉が4月下旬定検停止まで再稼働する原発がなければ、日本で稼働する原発はゼロになる予定である。
この事態に危機感を抱いた電力業界等は、定期点検中の原発の再稼働に向けて必死の様相である。
福島原発の事故原因すら明らかでないまま(現在国会で事故調査委員会が開催中)、関西電力の大飯原発(福井県)の形ばかりのストレステストの評価書を原子力安全保安院は妥当と判断、意見聴取会も合格とし、原子力安全委員会の審議に移った。地元合意を得て、その後首相と経済産業大臣など4人の判断で再稼働を決めるとしている。
原発事故後1年、大きな転換点に立っている。
このまま、定期点検などで稼働していない原発を止めておくのか。
原発なしでも日本は電力不足にならないのか。
原発のない社会を実現していくのか。
それとも、今止まっている原発を動かしていくのか。
老朽化した原発を動かすことは、地震の活動期に入った日本で危険なゲームに参加するようなものだ。福井県の大飯原発でもし原発の過酷事故が起これば、琵琶湖が汚染し、琵琶湖を飲料水とする大阪地域の人々への影響は測り知れず、また日本中が放射能汚染によって、福島よりも壊滅的な影響を被るだろう。
たくさんの犠牲を払い、また未来の命をも犠牲にし続けている原発事故から1年。日本の市民社会が問われているものは大きい。
日本の決断は世界にも影響を与えるだろう。そして世界が原子力発電に頼らない、核兵器に頼らない社会をつくること、権力を使って巨大なプラントを建設するのではなく、人々の民主的なプロセスによって地域に開かれた再生エネルギーを進めて行きたい。
東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか③
3、原発政策は転換できるのか
福島第1原発事故のあと、脱原発へと日本が政策転換しなければならないと思った人は多い。9月19日の「さよなら原発集会」は日本では珍しい6万人を越えた集会となり、脱原発の1000万人署名は4,193,872筆(2月17日現在)を越え(12月時点)、続く放射能による被害の結果、市民の脱原発の意思は衰えているとは思えない。今年の1月の脱原発世界会議には会場をあふれる1万1500人が参加した(ソウル市長のメッセージビデオも映し出された)。しかし、ドイツで実現した政策転換が、日本ではなかなか進まない。世論の8割が脱原発に賛成であるが、脱原発を掲げた菅直人前首相の退陣後、野田政権は経済界のいいなりになり、現在は原発推進派が盛り返している。
事故後にもかかわらず、あろうことか、日本はベトナムとヨルダンへの原発輸出へ向けての手続きを進めている。
現在日本では原子力発電所54基のうち2基のみが稼働し、あとは定期点検等で止まっている。北海道の北海道電力の泊原発3号炉が4月下旬定検停止まで再稼働する原発がなければ、日本で稼働する原発はゼロになる予定である。
この事態に危機感を抱いた電力業界等は、定期点検中の原発の再稼働に向けて必死の様相である。
福島原発の事故原因すら明らかでないまま(現在国会で事故調査委員会が開催中)、関西電力の大飯原発(福井県)の形ばかりのストレステストの評価書を原子力安全保安院は妥当と判断、意見聴取会も合格とし、原子力安全委員会の審議に移った。地元合意を得て、その後首相と経済産業大臣など4人の判断で再稼働を決めるとしている。
原発事故後1年、大きな転換点に立っている。
このまま、定期点検などで稼働していない原発を止めておくのか。
原発なしでも日本は電力不足にならないのか。
原発のない社会を実現していくのか。
それとも、今止まっている原発を動かしていくのか。
老朽化した原発を動かすことは、地震の活動期に入った日本で危険なゲームに参加するようなものだ。福井県の大飯原発でもし原発の過酷事故が起これば、琵琶湖が汚染し、琵琶湖を飲料水とする大阪地域の人々への影響は測り知れず、また日本中が放射能汚染によって、福島よりも壊滅的な影響を被るだろう。
たくさんの犠牲を払い、また未来の命をも犠牲にし続けている原発事故から1年。日本の市民社会が問われているものは大きい。
日本の決断は世界にも影響を与えるだろう。そして世界が原子力発電に頼らない、核兵器に頼らない社会をつくること、権力を使って巨大なプラントを建設するのではなく、人々の民主的なプロセスによって地域に開かれた再生エネルギーを進めて行きたい。
東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか②
韓国フェミニストジャーナル『イルダ』へ送った原稿の2回目です。
東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか②
2、原発事故後の対応と人々の苦悩
福島第1原発の事故は思い出しても恐怖である。3月12日の1号機の水素爆発後、大量の放射性物質が放出された。その多くは風向きから太平洋上に放出されたが北西に放射性物質は向い、風下の村、町を汚染した。しかし、情報が届かなかった。
その一つ、飯舘村は、「までいの村」(「までい」は「真手」と書き、「てまひまを惜しまないスローライフ」みたいな意)として知られ、農業、畜産中心のこの村は、里山の暮らしを大切に、再生エネルギーを使ったエコタウンをつくり、しかも女性の活用を真剣に考えている村だった。しかし、放射能は容赦なくこの村を襲い、4月になって遅れて汚染が高いことを告知された村民は全員避難した(一部残存している)。今、村民は福島市を中心に仮設住宅にいる人が多い。
福島県の中部地域も放射能の汚染線量は高い。通称「中通り」というこの地域には、県庁所在地の福島市、二本松市、郡山市など人口が計100万人を超える地域が広がる。2月24日の空間線量を文部科学省発表のモニタリングポストの数値で見ると福島第1原発から西に58㌔の郡山市の合同庁舎前の空間線量は0.63マイクロシーベルト毎時、同じく北西に68㌔の福島市の県北保健福祉事務所前の駐車場が0.83マイクロシーベルト毎時などの値が出ているのだ。年間の被ばく線量を概算すると8760時間をかけるという計算になるので、外部被ばくだけで5ミリシーベルト、7ミリシーベルトを超える計算になる。一般公衆の被ばく線量限度1㍉シーベルトを大幅に超える。これは外部被ばくだけなので、呼吸や食べ物による内部被ばくを考えるとどうなるのだろうか。福島市などの地の線量はチェルノブイリ事故後、避難区域となっていた線量だということだ。しかも福島市などでもホットスポットがある。県庁から1㌔の渡利地区は2マイクロシーベルト毎時を超えている。年間被ばく線量は20㍉シーベルトを超えるだろう。そして年間20㍉シーベルトという線量は、原発労働者の年間の許容被曝量であり、労災認定される線量なのだ。
政府はこの地域の住民を避難させなかった。それはなぜなのか。市民から推測すれば「100万人の住民を避難させるところがない」「福島県の経済の中心地、東北への物流の拠点であるこの地域に住む住民を避難させれば日本経済が持たない」という判断ではなかったか。
結果として、多くの住民、放射能に敏感な子どもたちが汚染地に住んでいるままである。緩慢な殺人とも言うべき行為だ。
小さな子どものいる家庭は、自主避難の道を選ぶ人も多かった。自主避難者を含む県外避難者は62808人を数える(2月16日、復興庁)。仕事を持っている人のほうが移動できない。正社員、共働きの人は避難者が少ない。専業主婦や非正規の女性は、母子避難している人が多い。これが、性別役割分業が強固な日本特有の避難の形「母子避難」を大量に生む結果となった。いや、韓国でも同様になるのかもしれない。東京でも多くの人が自主避難という形で母子で避難してきており、公務員住宅や都営住宅、借り上げ住宅の提供を受け、不安な生活をしている。一部帰って行く人もいるし、これから避難する人もいるだろう。
原発事故後の政策として日本政府の大きな間違いのもうひとつが、「除染」である。雨どいの下、側溝、屋根の上、等々、草が茂り土がたまっているところが、放射性物質が多く溜まり線量が高い。これを除染する方針が決まったのだ。高圧洗浄機で道や壁を除染し、屋根に登り、道や公園の草を除去し、表面の土をはがす。田畑については表面の肥沃な土をはがす。問題は、除染の効果だ。の多い福島県では、除染により、放射線量が半分に減ったとしても、森林と山間地域から落ち葉や土が舞い降りてきて、また汚染する。効果にも疑問がある。さらに除染する人は、被ばくする。その後にまた除染は自治体から業者に委託されるもの、ボランティアによるもの、地域で住民が自主的に行われるものなどさまざまだが防護も気になる。
除染は根本的解決にはならない。それどころか、除染に使用した水は海へ流れ込み、海にホットスポットを作り出し、魚を汚染し、漁業の生活を圧迫している。しかしそれでも除染せざるを得ない。
避難地域から避難した人には一人当たり月10万円が支給されている。自主避難者には1回だけ8万円(子ども・妊婦40万円)が支払われた。補償は分断を生む。
福島の人々の苦しみはひとことでは言うことはできない。避難先で人間関係もなく孤立して暮らすことの困難。今も高い放射線量の中で暮らす人々は仕事、家族との生活、学校、親族・地域との関係を考えて動かない選択をしたのである。避難するも地獄、避難しないも地獄。その間の分断。補償金による分断。私たちはそこに丁寧に耳を傾けるしかない。
そして、日本全体に汚染が広がり、食べ物が汚染され、農業者は打撃を受け、子どもたちは食べ物から遊びまで様々な制約を受けて暮らしていることも付け加えたい。
政府は県民健康調査を実施するとしているが、その調査票を出した人は約30%以下。ホールボディカウンターで被ばくを測った人もわずかである。市民が健康相談会を福島市などで始めているが、今の段階では、放射能による健康被害を特定できる段階ではない。「風邪ひきやすい」「鼻血が出やすい」という心配をする人が多いが、因果関係はわからない。ただ、チェルノブイリ事故のあとの知見から、免疫力低下が大きいことはわかっている。甲状腺がんなどが増えるのは3年後、4年後のことだろう。その時にわたしたちはどう判断するのだろうか。
東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか②
2、原発事故後の対応と人々の苦悩
福島第1原発の事故は思い出しても恐怖である。3月12日の1号機の水素爆発後、大量の放射性物質が放出された。その多くは風向きから太平洋上に放出されたが北西に放射性物質は向い、風下の村、町を汚染した。しかし、情報が届かなかった。
その一つ、飯舘村は、「までいの村」(「までい」は「真手」と書き、「てまひまを惜しまないスローライフ」みたいな意)として知られ、農業、畜産中心のこの村は、里山の暮らしを大切に、再生エネルギーを使ったエコタウンをつくり、しかも女性の活用を真剣に考えている村だった。しかし、放射能は容赦なくこの村を襲い、4月になって遅れて汚染が高いことを告知された村民は全員避難した(一部残存している)。今、村民は福島市を中心に仮設住宅にいる人が多い。
福島県の中部地域も放射能の汚染線量は高い。通称「中通り」というこの地域には、県庁所在地の福島市、二本松市、郡山市など人口が計100万人を超える地域が広がる。2月24日の空間線量を文部科学省発表のモニタリングポストの数値で見ると福島第1原発から西に58㌔の郡山市の合同庁舎前の空間線量は0.63マイクロシーベルト毎時、同じく北西に68㌔の福島市の県北保健福祉事務所前の駐車場が0.83マイクロシーベルト毎時などの値が出ているのだ。年間の被ばく線量を概算すると8760時間をかけるという計算になるので、外部被ばくだけで5ミリシーベルト、7ミリシーベルトを超える計算になる。一般公衆の被ばく線量限度1㍉シーベルトを大幅に超える。これは外部被ばくだけなので、呼吸や食べ物による内部被ばくを考えるとどうなるのだろうか。福島市などの地の線量はチェルノブイリ事故後、避難区域となっていた線量だということだ。しかも福島市などでもホットスポットがある。県庁から1㌔の渡利地区は2マイクロシーベルト毎時を超えている。年間被ばく線量は20㍉シーベルトを超えるだろう。そして年間20㍉シーベルトという線量は、原発労働者の年間の許容被曝量であり、労災認定される線量なのだ。
政府はこの地域の住民を避難させなかった。それはなぜなのか。市民から推測すれば「100万人の住民を避難させるところがない」「福島県の経済の中心地、東北への物流の拠点であるこの地域に住む住民を避難させれば日本経済が持たない」という判断ではなかったか。
結果として、多くの住民、放射能に敏感な子どもたちが汚染地に住んでいるままである。緩慢な殺人とも言うべき行為だ。
小さな子どものいる家庭は、自主避難の道を選ぶ人も多かった。自主避難者を含む県外避難者は62808人を数える(2月16日、復興庁)。仕事を持っている人のほうが移動できない。正社員、共働きの人は避難者が少ない。専業主婦や非正規の女性は、母子避難している人が多い。これが、性別役割分業が強固な日本特有の避難の形「母子避難」を大量に生む結果となった。いや、韓国でも同様になるのかもしれない。東京でも多くの人が自主避難という形で母子で避難してきており、公務員住宅や都営住宅、借り上げ住宅の提供を受け、不安な生活をしている。一部帰って行く人もいるし、これから避難する人もいるだろう。
原発事故後の政策として日本政府の大きな間違いのもうひとつが、「除染」である。雨どいの下、側溝、屋根の上、等々、草が茂り土がたまっているところが、放射性物質が多く溜まり線量が高い。これを除染する方針が決まったのだ。高圧洗浄機で道や壁を除染し、屋根に登り、道や公園の草を除去し、表面の土をはがす。田畑については表面の肥沃な土をはがす。問題は、除染の効果だ。の多い福島県では、除染により、放射線量が半分に減ったとしても、森林と山間地域から落ち葉や土が舞い降りてきて、また汚染する。効果にも疑問がある。さらに除染する人は、被ばくする。その後にまた除染は自治体から業者に委託されるもの、ボランティアによるもの、地域で住民が自主的に行われるものなどさまざまだが防護も気になる。
除染は根本的解決にはならない。それどころか、除染に使用した水は海へ流れ込み、海にホットスポットを作り出し、魚を汚染し、漁業の生活を圧迫している。しかしそれでも除染せざるを得ない。
避難地域から避難した人には一人当たり月10万円が支給されている。自主避難者には1回だけ8万円(子ども・妊婦40万円)が支払われた。補償は分断を生む。
福島の人々の苦しみはひとことでは言うことはできない。避難先で人間関係もなく孤立して暮らすことの困難。今も高い放射線量の中で暮らす人々は仕事、家族との生活、学校、親族・地域との関係を考えて動かない選択をしたのである。避難するも地獄、避難しないも地獄。その間の分断。補償金による分断。私たちはそこに丁寧に耳を傾けるしかない。
そして、日本全体に汚染が広がり、食べ物が汚染され、農業者は打撃を受け、子どもたちは食べ物から遊びまで様々な制約を受けて暮らしていることも付け加えたい。
政府は県民健康調査を実施するとしているが、その調査票を出した人は約30%以下。ホールボディカウンターで被ばくを測った人もわずかである。市民が健康相談会を福島市などで始めているが、今の段階では、放射能による健康被害を特定できる段階ではない。「風邪ひきやすい」「鼻血が出やすい」という心配をする人が多いが、因果関係はわからない。ただ、チェルノブイリ事故のあとの知見から、免疫力低下が大きいことはわかっている。甲状腺がんなどが増えるのは3年後、4年後のことだろう。その時にわたしたちはどう判断するのだろうか。
東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか①
韓国フェミニストジャーナル『イルダ』向けに原稿を送りました。
ふぇみんブログにも3回に分けてアップします。
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東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか①
犠牲を無駄にしないと誓うために
3月11日がまたやって来る。日本の東北の太平洋沿岸を襲った大津波と、それに続く福島第1原発の事故。死者1万5850人、行方不明3287人、全壊・半壊合わせて37万世帯、避難者約40万人の大規模な災害。あまりにも突然にテレビに映った巨大な津波の映像が、人々には映画のように見えるほど想像を絶したものだった。しかし今では恐怖と涙を誘うものとなって迫ってくる。それは多くの人の苦しみや体験を聞いてきた1年でもあったからだ。
しかも福島第1原子力発電所の事故は、政府は収束宣言をしたが、実際は温度が上がるなど収束などしていない状態で、放射能の被害はほぼ日本全域を、あるいは北半球すべてを覆っている。それはさまざまな分断を産み、いまだに先が見えない状況であえる。
1、津波の被害からの復興
東北の沿岸部を襲った津波被害は想像を絶するようなものだった。家や建物はほとんどが流され、内陸数キロにわたって津波が押し寄せ、すべてを押し流し、逃げ遅れた人々は溺死しあるいは打撲で亡くなったという。
今津波の被災地はがれきがきれいに片づけられ、がれきは分別され巨大な山を築いている(がれき処理は政治問題となっている)。仮設住宅は高台の土地に建てられ商店が営業を始め、水産加工場が少しずつ始まり、大型スーパーマーケットも営業を始めている。
仮設住宅は冬寒く、狭く、東北で大きな家に住んでいた人々にはとても苦痛だという。しかも高台にあるので、商店街などからは離れていて、これから孤立が問題となる。
政府は失業保険をもらえる期間を延長し被災地域の雇用が復活するまでのつなぎとしてきた。そこで多くの人が失業保険を得て生活を維持している。2月くらいまででそれも切れる人が多い。そのほか全壊世帯には300万円の被災者生活再建支援金が支払われる(半壊世帯には半額)。家の再建にはほど遠いが、阪神淡路大震災の被災者が運動して勝ち取った制度である。これも家族単位であることが問題となっている。
何度か津波の被災地域を訪れ、女性の雇用や仮設住宅での暮らしを聞いてきた。
仮設住宅で孤独死防止のための取組として仮設見回り事業も始まり、被災者を緊急雇用促進事業で訪問員として雇い、見回りを行っている。
女性団体が女性たちを買いもの代行サービスと見守り事業のために宮古市、大槌町、野田村の被災者の女性9人を雇い、運営している事業がある。沿岸部が津波でやられてしまったため、高台にある仮設住宅からは買いものが不便だ。高齢化率の高い地域で、お年寄りにとっては移動手段がない。3人がチームとなって、車で頼まれた買いものをし、合わせて孤独死を防ぐ意味もある。名づけて「芽でるカー」。3年間は政府の補助金で続けられそうだという。
手づくり品をつくり、売っていくばくかの収入を得るのも盛んに行われ東京など全国で売られている。大槌はらんこ(はらんこはサケの卵のこと)は、大槌町の仮設住宅に住む女性たちが週に2回、集会所で集まって、マフラーや刺し子をつくっているグループだ。家族を流されてしまった人も多い。「みんなで集まって手を動かしていると、何も考えなくていい」と女性たちは言う。こうしたてづくり品を、会社経営としてたち挙げたグループもある。若手のビジネスマンが経営し大手百貨店などでも販売されているものがある。フェアトレードという位置づけをする人もいるが、日本と東南アジアの国ほどの経済格差はないので、女性たちが得る収入はわずかだ。
沿岸部の女性たちの多くは、水産加工場で働いてきた。ワカメが採れるときはワカメを加工し、ホタテ、カキが獲れればカキ、と1年を通じて季節ごとに働いてきたのだという。これらの女性たちは雇用なのか家族労働の延長なのか不明な人もいる。だが、漁業の復活はこれからなのだ。
がれき処理や重機を扱う男性のほうが、求人も多い。沿岸部で女性たちの雇用も求めていかなければならない。
東日本大震災女性支援ネットワークは、復興・防災へ女性の視点をということで活動してきた。緊急雇用制度の男女別統計を出させ、女性支援の重要性を各県にも申し入れている。また女性に対する暴力調査を行っているが、被災のストレスによるDVや子どもへの性暴力事例などが報告されてきている。16年前と変わったのは、震災によって女性に対する暴力が増えるということを否定する人が減ったしメディアにも出ているということであり、暴力自体を減らすことはできていない。
ふぇみんブログにも3回に分けてアップします。
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東日本大震災から1年 私たちは何を失い何を未来に拓くのか①
犠牲を無駄にしないと誓うために
3月11日がまたやって来る。日本の東北の太平洋沿岸を襲った大津波と、それに続く福島第1原発の事故。死者1万5850人、行方不明3287人、全壊・半壊合わせて37万世帯、避難者約40万人の大規模な災害。あまりにも突然にテレビに映った巨大な津波の映像が、人々には映画のように見えるほど想像を絶したものだった。しかし今では恐怖と涙を誘うものとなって迫ってくる。それは多くの人の苦しみや体験を聞いてきた1年でもあったからだ。
しかも福島第1原子力発電所の事故は、政府は収束宣言をしたが、実際は温度が上がるなど収束などしていない状態で、放射能の被害はほぼ日本全域を、あるいは北半球すべてを覆っている。それはさまざまな分断を産み、いまだに先が見えない状況であえる。
1、津波の被害からの復興
東北の沿岸部を襲った津波被害は想像を絶するようなものだった。家や建物はほとんどが流され、内陸数キロにわたって津波が押し寄せ、すべてを押し流し、逃げ遅れた人々は溺死しあるいは打撲で亡くなったという。
今津波の被災地はがれきがきれいに片づけられ、がれきは分別され巨大な山を築いている(がれき処理は政治問題となっている)。仮設住宅は高台の土地に建てられ商店が営業を始め、水産加工場が少しずつ始まり、大型スーパーマーケットも営業を始めている。
仮設住宅は冬寒く、狭く、東北で大きな家に住んでいた人々にはとても苦痛だという。しかも高台にあるので、商店街などからは離れていて、これから孤立が問題となる。
政府は失業保険をもらえる期間を延長し被災地域の雇用が復活するまでのつなぎとしてきた。そこで多くの人が失業保険を得て生活を維持している。2月くらいまででそれも切れる人が多い。そのほか全壊世帯には300万円の被災者生活再建支援金が支払われる(半壊世帯には半額)。家の再建にはほど遠いが、阪神淡路大震災の被災者が運動して勝ち取った制度である。これも家族単位であることが問題となっている。
何度か津波の被災地域を訪れ、女性の雇用や仮設住宅での暮らしを聞いてきた。
仮設住宅で孤独死防止のための取組として仮設見回り事業も始まり、被災者を緊急雇用促進事業で訪問員として雇い、見回りを行っている。
女性団体が女性たちを買いもの代行サービスと見守り事業のために宮古市、大槌町、野田村の被災者の女性9人を雇い、運営している事業がある。沿岸部が津波でやられてしまったため、高台にある仮設住宅からは買いものが不便だ。高齢化率の高い地域で、お年寄りにとっては移動手段がない。3人がチームとなって、車で頼まれた買いものをし、合わせて孤独死を防ぐ意味もある。名づけて「芽でるカー」。3年間は政府の補助金で続けられそうだという。
手づくり品をつくり、売っていくばくかの収入を得るのも盛んに行われ東京など全国で売られている。大槌はらんこ(はらんこはサケの卵のこと)は、大槌町の仮設住宅に住む女性たちが週に2回、集会所で集まって、マフラーや刺し子をつくっているグループだ。家族を流されてしまった人も多い。「みんなで集まって手を動かしていると、何も考えなくていい」と女性たちは言う。こうしたてづくり品を、会社経営としてたち挙げたグループもある。若手のビジネスマンが経営し大手百貨店などでも販売されているものがある。フェアトレードという位置づけをする人もいるが、日本と東南アジアの国ほどの経済格差はないので、女性たちが得る収入はわずかだ。
沿岸部の女性たちの多くは、水産加工場で働いてきた。ワカメが採れるときはワカメを加工し、ホタテ、カキが獲れればカキ、と1年を通じて季節ごとに働いてきたのだという。これらの女性たちは雇用なのか家族労働の延長なのか不明な人もいる。だが、漁業の復活はこれからなのだ。
がれき処理や重機を扱う男性のほうが、求人も多い。沿岸部で女性たちの雇用も求めていかなければならない。
東日本大震災女性支援ネットワークは、復興・防災へ女性の視点をということで活動してきた。緊急雇用制度の男女別統計を出させ、女性支援の重要性を各県にも申し入れている。また女性に対する暴力調査を行っているが、被災のストレスによるDVや子どもへの性暴力事例などが報告されてきている。16年前と変わったのは、震災によって女性に対する暴力が増えるということを否定する人が減ったしメディアにも出ているということであり、暴力自体を減らすことはできていない。