『蟹工船』が売れているという。作者の小林多喜二は、プロレタリア文学作家として有名だ。虐殺されて遺体が戻ってきたときに立ち会った人々の中に、ふぇみん婦人民主クラブの創立メンバー、佐多稲子がいたという。
このあと、プロレタリア作家は次々と逮捕され、佐多稲子の夫、窪川鶴次郎も逮捕され、ついには佐多稲子も連行される。 そこから偽装転向や戦争協力などが起きていくのだ。
ふぇみん7月25日号には、「佐多稲子『私の東京地図』文学散歩」の最終回としてこの時代の佐多を描いた「道」の章を歩いた、戸塚や馬場の界隈のことが載っている。
弾圧の象徴的事件が小林多喜二の虐殺だったのではないか。
さてそんな風に想っていたら、佐多稲子の『キャラメル工場から』という作品を思い出した。この作品は小学校にも通えずキャラメル工場で働く少女を描いた作品。この少女はもちろん、佐多さん自身のことだ。この作品は佐多稲子のプロレタリア文学作家としての地位を確立した作品と言われている。
事業に失敗した父、祖母、病気の叔父…家計の足しにと働く少女。厳しい労働です。
郷里の小学校の先生からの手紙を読んで、便所で泣く少女。
今の時代は児童労働はないかもしれない。しかし、学校に行くこと、教材費や高校の授業料を払うことが困難になっている子どもたちは増えている。
そんなことを思うと、「キャラメル工場から』も必読なのでは、と思う。 (衣)
2008年7月22日火曜日
2008年7月13日日曜日
貧困とジェンダーについて考える 反貧困キャラバンに参加して
反貧困キャラバン出発式が今日、埼玉県の浦和で開催された。私はシングルマザーの知人が、体験を話すので、付き添いで途中まで参加した。弁護士会や司法書士会など大きな団体がからんでいて、ちょっと堅苦しい感じになっていた。もっと当事者がいろいろからめるといいのにね。最初に5人の人が体験や実情を話した。日雇い派遣で働いていた金城さんは、100円のマスクでアスベスト除去の仕事をさせられて、日給5000円をもらったなど酷い状況を話していた。ホームレス体験から、ホットポットという支援団体に相談して今は働きながらアパート生活ができるようになった50代の男性と、ネットカフェ生活から、ホットポットの支援を受けてそこから抜け出せた、30代の男性などが話していた。シングルマザーの知人は、ダブルワークをやりながら、高校受験の子どもに無理しながら塾費用を捻出し、やっと公立に入れたらまた入学のときにお金が必要だったという体験から、教育格差の話をし、シングルマザーの生活と子どもの教育の問題を出せたのはよかった。
だが、会場にいながら、なんか…これって非対称だなあ…って思った。
2人の男性が仕事がうまくいかなくなり貧困に陥ったときに、妻と子どもたちと別れたと語っていた。彼らの体験は生々しい体験談だった。だが別れた妻や子どもたちがどう暮らしているのだろう、という心配や配慮の言葉はなかった。あるいは、将来、子どもに養育費を送ってやりたい、というような希望も語られなかった。
貧困に陥ったときに、家族を維持できなくなることがある。
そのときに男性片働きで家族を維持しようとするのか、あるいは共働きで家族を維持しようとするのかはその夫婦のジェンダー観による。この2人は聞いていると片働きを志向していたようだ。そしてそのほうが確実に家族が維持できなくなる限界は早くくる。(だって1人で19万円の稼ぎじゃ、家族4人は暮らせないよ)
そして、その別れ方がどうだったのかは分らないのだが、別れた子どもたちを自分が養育すべきなのだ、という発言はなかった。妻とのいざこざはつらい体験なので話せないのかもしれないが。
だが引いたところでみれば、彼らの陰に、成長期にありながら、もっと困難を抱えているに違いない、子どもたちと、母である女性がいるだろうということは…あるいは母も子を捨てているかもしれないけれど、子どもたちがいるだろうことはほぼ確実である。
そして支援の目指すべき方向は、もちろん、生活保護などの福祉を活用できることは言わずもがなであるし、妻との関係はともかくも、彼らが徐々に就労していくことで、毎月少しずつでも子どもへ養育費を送れるようになるところまでではないのかと思う。
まだもやもやしているのだけれども、貧困だから結婚できないといって「希望は戦争」という男性にも、また借金を抱え仕事がうまくいかなくなり妻子と別れてホームレスやネットカフェ難民になったと語る男性にも、似たようなジェンダー問題を感じてしまう。
そして、実は女性から否定されたり、女性から信頼されたり、という事柄が、その男性の自信やアイデンティティーに大きな影響があるようだ、と感じるからだ。そこが困ったものなのだが。
そうそう、弁護士会の人が「被害実態」と言っているのもちょっと違和感があった。
さらには、ワーキングプア男性が、シングルマザーをセーフティネットに使って宿と食事とセックスを提供させていたりすることも…あったりすることも私は知っている。それはその人の選択ともいえるが社会的にみれば一つの傾向として感じられるのだ。
ところで、6月5日号ふぇみんに渋谷知美さんが「『低収入だから結婚できない』への違和感」という論考を書いてくれている。これをワーキングプアのユニオンをやっている男性に見せたら、これはデータの読み方が違うなど、かなり激しく反応していた。
その後具体的に反論してほしいのだが、ないのがちと残念ではあるのだ。
(衣)
だが、会場にいながら、なんか…これって非対称だなあ…って思った。
2人の男性が仕事がうまくいかなくなり貧困に陥ったときに、妻と子どもたちと別れたと語っていた。彼らの体験は生々しい体験談だった。だが別れた妻や子どもたちがどう暮らしているのだろう、という心配や配慮の言葉はなかった。あるいは、将来、子どもに養育費を送ってやりたい、というような希望も語られなかった。
貧困に陥ったときに、家族を維持できなくなることがある。
そのときに男性片働きで家族を維持しようとするのか、あるいは共働きで家族を維持しようとするのかはその夫婦のジェンダー観による。この2人は聞いていると片働きを志向していたようだ。そしてそのほうが確実に家族が維持できなくなる限界は早くくる。(だって1人で19万円の稼ぎじゃ、家族4人は暮らせないよ)
そして、その別れ方がどうだったのかは分らないのだが、別れた子どもたちを自分が養育すべきなのだ、という発言はなかった。妻とのいざこざはつらい体験なので話せないのかもしれないが。
だが引いたところでみれば、彼らの陰に、成長期にありながら、もっと困難を抱えているに違いない、子どもたちと、母である女性がいるだろうということは…あるいは母も子を捨てているかもしれないけれど、子どもたちがいるだろうことはほぼ確実である。
そして支援の目指すべき方向は、もちろん、生活保護などの福祉を活用できることは言わずもがなであるし、妻との関係はともかくも、彼らが徐々に就労していくことで、毎月少しずつでも子どもへ養育費を送れるようになるところまでではないのかと思う。
まだもやもやしているのだけれども、貧困だから結婚できないといって「希望は戦争」という男性にも、また借金を抱え仕事がうまくいかなくなり妻子と別れてホームレスやネットカフェ難民になったと語る男性にも、似たようなジェンダー問題を感じてしまう。
そして、実は女性から否定されたり、女性から信頼されたり、という事柄が、その男性の自信やアイデンティティーに大きな影響があるようだ、と感じるからだ。そこが困ったものなのだが。
そうそう、弁護士会の人が「被害実態」と言っているのもちょっと違和感があった。
さらには、ワーキングプア男性が、シングルマザーをセーフティネットに使って宿と食事とセックスを提供させていたりすることも…あったりすることも私は知っている。それはその人の選択ともいえるが社会的にみれば一つの傾向として感じられるのだ。
ところで、6月5日号ふぇみんに渋谷知美さんが「『低収入だから結婚できない』への違和感」という論考を書いてくれている。これをワーキングプアのユニオンをやっている男性に見せたら、これはデータの読み方が違うなど、かなり激しく反応していた。
その後具体的に反論してほしいのだが、ないのがちと残念ではあるのだ。
(衣)